「人に会う旅」
〜フィリピン・ピナトゥボ地域との交流


アエタスのこと

「人に会う旅」をフィリピン側で支援してくれているのがクユーガン医師。
クユーガン医師は、1992年9月から10月までAHI・アジア保健研修財団の研修生として来日。
ちょうどその時期に、AHIに協会のピナトゥボ被災地訪問の実現を相談していたこと、
さらにクユーガン医師自身が被災地に住み、最も被害が大きかった山岳少数民族「アエタス」の医療活動に専念していたこと。
このことから、クユーガン医師は1か月の滞在中に岩倉を訪れ、被災の状況を説明し、現地での受け入れを快諾してくれました。

洗いざらしのTシャツに膝の出たジーンズ、素足にゴムぞうりばきといういでたちは、
その後もずっと変わらない彼のトレードマーク。
およそ医師のイメージとはかけ離れた人なつこい姿は、この10年、常に訪問団の拠り所でした。
彼の医療への情熱、飾らない人柄、学ぶべきことは数知れません。
タガログ語で「かわいい坊ちゃん」という意味の「ボトン」いう愛称で、
アエタスの人々や周囲の人たちから親しく呼ばれています。

アエタスとは、フィリピンの原住民たち。
後からやって来た平地民に追われて山へ入り、少数民族としていわれなき差別を受けてきています。
ピナトゥボ山頂から半径十キロの範囲には、
自然崇拝を固持しながら、焼き畑農業を営み、伝統的な生活様式を守って生きるアエタスの集団が住んでいましたが、
このピナトゥボ火山の噴火のために集団は破壊されました。
ふもとの避難キャンプに収容されたものの、平地民とのトラブルは絶えず、慣れない生活に馴染めずに、
次々とアエタスの子どもたちは亡くなっていき、民族消滅の危機にさらされました。
耐えきれなくなったアエタスの人々は、まだ噴煙を臨む元の山に戻り始めたのです。
政府は危険を承知でとうとう「再定住地区」を決め、山頂での生活を許可する事になりました。

岩倉の訪問団が毎回訪れるナブクロッドの山頂に住むアエタスは「マギンディ語族」の人々です。
バナナや芋を主食とし、狩猟や焼き畑農業で生計を立てています。
大人の身長が130cmくらいという小柄で、外部からの入山者には警戒心が強いのですが、
「敬愛すべきアエタスの恩人」とも言える医師ボトンと共に訪れる岩倉からの一行は、心を許して盛大に迎えられています。
目の前で仕留めた「豚の生き血」を回し飲みするという、アエタスの最大級の儀式で迎えられた事が何回かありました。


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